会社概要

代表取締役会長 四十物 直之
代表取締役会長 四十物 直之

こんにちは 「昆布」のとれない富山でなぜ『昆布屋』を・・・?

そこには「昆布」のふるさと北海道と富山の深い繋がりがあります。知床の羅臼の昆布漁は富山県黒部市生地からの移住の人達によって開拓された歴史があります。古くは北前船により、また近年は北洋漁業により交流があり、北海道の魚や「昆布」は富山の伝承料理に深くとけ込んでいます。

富山は「昆布」の消費量が一所帯あたり日本一の県です。

当社は羅臼昆布・利尻昆布・真昆布・がごめ昆布・根昆布・さお前昆布・各種昆布製品など、ほとんどの種類の「昆布」を豊富に品揃えしております。皆様のお越しをお待ちしております。
ホームページでは、「昆布」についていろんな角度から紹介しております。健康生活に役立つ「昆布」をもっとたくさんの人に知っていただき、食べていただければ幸いです。


画像:看板

富山から北海道への移住

北海道への移住、出稼ぎは1800年中旬から盛んになりました。富山は海岸線の長さが漁民一人に換算すると短く 例え漁があっても大量貧乏に陥ることがあり、漁民は苦しい生活を強いられていました。そこで田村前名、石田の宮崎広八郎という人たち 出稼ぎを勧めました。越中衆は大変働き者で現地の親方にかわいがられ、その内に独立して、そこに住み着く者や、また独立した親方を頼って出稼ぎが増えました。越中衆は北海道でも一番端の根室、北方領土の歯舞群島の多楽、志発、水晶島、色丹島、知床の羅臼、利尻の沓形(新湊)と厳しいところを開拓していきました。厳しいところだからこそ、豊富な魚、良質の昆布があり、成功していきました。
当社、四十物昆布もその流れがあり、今日、富山県黒部市生地で『昆布屋』をしています。左の看板は、戦前祖父(四十物幸作1898年〜1972年)が魚粕商の会員であった水産庁発行の会員証です。
当時祖父は20歳で利尻に渡り商人をして生計をたて、昭和10年ごろすでに網元として鰊漁(利尻島沓形新湊)に乗りだします。生地から縄筵を積んで北海道利尻島へ、利尻からは 鰊粕(肥料として)を農家に販売していました。祖父は、また海産物商として、昆布、棒だらなど、全国に手広く商いをしていました。
四十物昆布も幸作の次男直二(1927年〜)が生地に帰り、1949年10月マルコ四十物昆布加工所を創業、利尻昆布専門の とろろ昆布の製造を始めました。 まさしく(株)四十物昆布は富山の出稼ぎ漁業、そして北前船がもたらした副産物のひとつと言えるでしょう。

【四十物(あいもの)】とは

あいものは、相物・合い物・間物・四十物などとも書き、一般に塩魚類の総称のこと、または鮮魚と干物の中間の汐魚のことをいいます。魚の塩物については、完全に乾燥した干物のほかに、少しでも生魚に近い味を残すために、塩や乾燥期間を少なくしたものに四十物がありました。四十物は相物とも書き、かなり古くから発達した生魚の保存法です。
四十物とは、サンマやアジの開き、カマス、カレイ、ゆがいたイカ、キスの浜焼きなどの干物のことをいいます。鮮魚と塩漬け加工品の間にある魚のことで、四十種類ほどあるから、この字をあてたらしいです。とれたての鮮魚を開き、はらわたを出して水で洗う。それを丸一日、浜辺で天日にさらしパリパリに乾燥させる。かみしめると魚そのものの持つ甘み、旬の味が、じゅわーっと出てくきます。
延長年中(923年〜931年)に源順の書いた『和名抄』の中にある「相物」(あいもの )というものと同じです。これは乾しあげた魚のことで、小はメンジャコ(幼鰯の乾燥したもの)から大は鱈を干した棒鱈までが含められ、「塩物」とは一線を引いて区別されています。魚の端境期、また冬期など海が荒れて漁撈の出来ぬ時季、或いは魚を遠方に送らねばならぬ時など、実に重宝なものでした。
主にこれらの品々を商う海産物問屋の多くが「四十物屋」(あいもんや)の屋号を名乗りました。北前船の船頭や船主、回船問屋が「四十物屋」の屋号を名乗り、「四十」のついた姓が北前船の寄港地に多いこと、さらには売薬商人にも「四十物屋」の屋号が見られることから、「四十物」と北前船の深いつながりをうかがい知ることができます。
また、いまだに四十物町という地名が残っています。富山県には富山市に西四十物町、東四十物町、黒部市生地に四十物町(我が町内)、住居表示変更前には新湊市(現在の射水市)にも四十物町がありました。また新潟県佐渡郡相川町四十物町、石川県小松市四十物町があります。住居表示変更前はまだまだ四十物町が存在したはずです。


画像:店舗外観

画像:店舗内

■会社概要

 
会社名称株式会社 四十物昆布
所在地〒938-0072 富山県黒部市生地中区339-5 所在地マップ▼
TEL0765-57-0321(代)
FAX0765-57-0867
E-mailkonbu@aimono.com
設立1949年10月
資本金1.000万円
代表者代表取締役会長 四十物 直之
代表者代表取締役社長 四十物 幸直
営業品目昆布(原藻)、わかめ、昆布加工製品、椎茸(どんこ)
直営店生地本店、大和富山店
営業時間(平日)8:00〜17:30  (日祭日)9:00〜17:30   年中無休(元日除く)

■沿革

海陸物産問屋マルコ四十物幸作商店(北海道利尻)が利尻昆布専門加工部門として

昭和24年10月マルコ水産物加工所を創業 代表 四十物 直二
昭和38年4月工場を生地中区に建設  マルコ四十物昆布加工所と改名
昭和48年10月四十物昆布と改名
昭和57年5月(株)大和富山店に直営店出店
昭和63年2月株式会社四十物昆布に移行 資本金1.000万円
代表取締役 四十物 直二
専務取締役 四十物 直之
平成8年2月代表取締役 四十物 直之 就任
平成11年8月新工場・直営店 着工  翌12年1月 完成
平成28年4月専務取締役 四十物 幸直 就任
令和3年6月代表取締役社長 四十物 幸直 就任

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